Regulus

獅子秘書置き場

favorite smell

「新しいのが欲しいんですが、どこに行ったら買えますか」
シャワーから上がったアンドリューに渡された空のプラスチックボトル。
それは以前、出張で泊まったホテルで気に入って買ってきたシャワージェルだった。
俺が買ってきたものをたまに使うことはあっても、シャンプー類にこだわりが無い彼が同じものを使い切ることは珍しい。ましてやもう一度同じものを使いたいという要望は今回が初めてだ。
「気に入った?」
渡されたボトルを受け取って、はてこれはどこで買ってきたものかと記憶を巡らせる。そんなに前のものじゃないから、ここ数ヶ月に行った国を思い出せば分かるはず。
「香りが良かった。……なんだっけ」
「スウィートアーモンド?」
「そう、それ」
ボトルに書いてあるのに、ぼんやりとしか覚えてないのも彼らしい。
「柑橘系とか花とかはあるけど、それは初めてだった」
「そっか、こういう香りが好みなのか」
「かもしれない」
で、これはどこで売ってるのかという再びの質問に、慌てて買ったホテルを思い出すが、近場では無かったことを思い出す。
「買いに行くの難しそうだから、通販で探してみるな」
少し時間が欲しいと言うと、難しいことを言って悪いと謝られてしまった。
「これがいいとか、これが欲しいとか、アンディが言うと嬉しいから。むしろもっと言って」
申し訳なさそうな顔をしていたアンドリューはふと力が緩んだのか、やんわりと口を開いた。
「なんとなくライアンの匂いがする、から、気に入った」
「……スウィートアーモンドが?」
「そう」
自分のつけてる香水はアーモンド系じゃないし、体臭がそんな匂いなんだろうか。自分では分からないから反応のしようが無かった。
「俺の匂いがするから、また使いたいってこと?」
さっきからの会話をまとめると、こういうことだろうか。これで合ってるだろうか。
アンドリューは視線を逸らしたまま、何も話してくれない。間違っていただろうか。
「君がいない日でも、あれがあると安心する。だから、次の出張までにあると助かる」
冷静を装ってキッチンへゆっくり歩いていくアンドリューの背中を暫し呆然と見ていたが、少し歩き方がおかしくて、あぁあれは照れているんだなと思うと、さっきのまとめは間違ってなかったんだなと嬉しくなった。

 

休日の食事

時間にゆとりのある休日。特に急ぐ書類作成もないし、本当にゆっくり出来る休みだ。
アンドリューも夕方には帰ってくると言っていたから、早めの夕飯を取り、普段はあまり飲むなと抑制している酒を飲む時間を作るのもいい。
「よし、準備するか」
買い物に行って仕込みの時間を入れても、まだ十分余裕がある。アウターを掴んで颯爽と近所で一番大きなスーパーへと足を向けた。

 

「肉と……スパイス系はほとんど無かったはず」
凝った料理は俺、アンドリューは手早く作れるもの専門。いつからか分かれていった食事担当に、こうして分担するほど一緒に食事を取ったのだと思うと頬がにやける。
案外ちょろいんだな、などと自分を分析しつつ、ブロック肉とたくさんのスパイスを買い込んで家へと戻る。
アンドリューはまだ帰宅していないようで、部屋はモリィの部屋以外冷えていた。暖房をつけて部屋が暖まるまでアウターを脱がずにキッチンへ向かい、袖をまくる。
ブロック肉にスパイスを丹念に塗り込み、フライパンで焼き目をつけていく。美味しそうな匂いが部屋中に広がって、このままでも十分に旨そうな肉をつまみ食いするのをぐっと堪え、密封して湯の中へ沈める。
本来なら数日寝かせた方が本格的なものになるが、さきほど思い出した今回はかける時間が無いため、時短レシピで作る。
数十分後タイマーが鳴り、鍋から取り出したそれを暫く放置して、出来上がったそれをスライスして盛り付けた。
丁度帰ってきたアンドリューも匂いにつられて「ただいま」と言いながらキッチンに立ち寄り、完成したローストビーフに視線が釘付けだった。
「シャワー入って温まってこいよ。出てくる頃には用意出来るから」
喉を一度ごくりと鳴らして、素直に頷いたアンドリューはコートを脱いで慌てるようにバスルームへ歩いていった。
食に敏感になるのは珍しい。作った甲斐があると小さくガッツポーズをしながら、肉にソースをかけ、炊き上がったサフランライスも盛り付けた。即席で作ったポトフもいい感じだ。
全てをテーブルに運んだところで、バスルームから出てきたアンドリューが髪を拭きながら席に着いた。
「タイミングばっちりだな」
向かい合って座って、アンドリューにグラスをもたせて赤ワインを注ぐ。
「飲んでいいんですか?」
「たまにはな。そのために作ったのもあるし」
合わせたグラス同士の音が軽く響いてから口をつける。久々に飲んだアンドリューは一口目で思わず口元が緩んだようだった。
「美味しい」
「こっちもぜってー美味いはずだから食ってみ」
取り皿に乗せた肉をゆっくり口に運び、しばらく咀嚼してからアンドリューはすっと視線を上げてこちらを見る。
「……美味しい」
「何その、意外だ、みたいな顔」
「いや、ライアンが作るものはいつも美味しいけれど、今日のは何ていうか特別美味しい、気がする」
これは思ったよりもアンドリューの好みの味だったようで嬉しくなる。好き嫌いを自分でも把握していない彼の好みを聞き出すには、一度こうして食べてもらって反応を見るのが一番分かりやすい。
「だいぶアンタの好きそうな味が分かってきた」
「そんなの分かるのか」
「もちろん。多分俺にしか分かんねーだろうけどな」
自信満々に言ってみたものの、必死に肉を食べるアンドリューに既に会話は流されていた。こういうとこ天然だよな、と思いつつ、美味しそうに食べる顔が見れて嬉しいのもあるし、それ以上に安心した。
「今日はもうちょっと飲んでいいぜ」
空いたグラスへ更に注ぐと、じとっとした上目遣いでこちらを見られた。
「何も企んでない。言っただろ、たまにはって」
何を怪しんでいるのか大体の想像はつくが、今日はそんな警戒されるようなことをするつもりはない。美味しいものを食べて飲んで、気持ちよく眠って欲しいだけだ。
かっこよく決めたつもりだったのに、
「今日なら、いいですよ」
アンドリューの言葉に、思わず目を見開いてしまった。
「たまには、ね」
酔ってるのもあるだろうが、アンドリューの表情は妖艶で見惚れるほどで。
「ライアンと一緒の方が温かいし、よく眠れるから」
そんな誘いを受けて俺が断るはずも無かった。

 

One year

「一年だな」
ガラス越しにライアンから告げられた言葉に、視線を合わせることが出来なくて膝に置いた手を眺めるように伏せていた顔を少し上げる。
思考を巡らすまでも無い、自分の起こした事件から一年目の今日。
もう、なのか、まだ、なのか。どちらとも決めづらい。
「あなたは、ますます活躍の場を広げてますね」
「何、チェックしてくれてんの」
「それなりに。周りから聞くことも多いですし」
忙しい合間を縫って面会に来てくれるバーナビーさんや、それ以上にこうして会いに来てくれる本人の変化を見ていれば嫌でも分かる。
俺とは違って、常に変化していく時間の中で生きているヒーロー。それがライアンだ。
「無理してるんじゃないですか。ここに来るの」
この国で仕事があるついでにここへ来るのか、わざわざここへ来るためだけにこの国へ来るのか。聞いてみたいけど、聞いてはいけない話のように思う。
「無理ねぇ……俺が無理するように見える?」
「見えませんが……そう見せないようにするのがあなたのスキルなのかもしれないし」
「へー、えらく高評価」
こちらから彼を褒めることはあまり無かったため、ライアンは嬉しそうな表情を隠すこともなく肩を揺らして笑った。
「俺が会いたいから来てるわけだし、そのためにあれこれ調整するのは楽しいし、無理なんて一つも無いな」
そもそも無理なら来れねーし。と音がしそうな簡易的な椅子に座り直して、上体をこちらに近づける。
「あんたが出てきたら一緒に行きたいところを世界周ってリストアップしてるから。楽しみにしとけよ」
ガラス越しでもハートが飛んできそうなウインクをばっちり直視してしまって、思わずまた俯きそうになる。
刑期が終わる頃にライアンが俺のことを覚えてる確証なんかないと、やけに冷静な思考とは裏腹に、彼のリストアップした場所へいつか行ってみたいなと願う心。
「……楽しみです」
今はただ、それだけしか言えない俺に、ライアンが一度目を開いてから微笑む。
「笑うようになったな。うん、いいじゃん」
両手の指で四角を作り、カメラのレンズに見立てたそれでこちらを覗く。
「毎年写真撮っておきたいな」
「やめてください」
「やらねーよ。出来ねーし。その分、出てきたらいっぱい撮ってやる」
久しぶりに会えたこの時間も終わりが近づいてきた。合図されて俺が立ち上がると、向こう側のライアンも立ち上がる。
「またな」
さらりと呟くライアンの最後の声に、今日は振り向いて見せた。
一年で自分の気持ちを少しだが話せられるようになった。来年はどんな風になっているだろう。今日より更に進歩して、彼に見てもらえる機会がまだ続いていることを願った。

 

Eye Color

 休暇に実家に行って、母が見せた俺の幼少時代のアルバムを余程気にいったのか、一冊アンドリューが荷物に入れたのは知っていたが、帰ってきてからも夕食後に毎日それをめくっている。そんなに何度も見るほど珍しいものだろうか。
「なぁ、楽しい?」
「楽しいですよ。俺の知らないライアンがいっぱいで」
 そう言って、もう既に何回も見たはずのページをゆっくりと眺める。
「瞳の色……今と違うんですね」
「あ?あぁ、前はグレーだったかな」
 特にコンプレックスだった訳でもないから言われるまで忘れていたが、幼少期は今と目の色が違った。
「いつからグリーンに?」
「さぁな。気付いたら今の色だった。ていうか、よくそんな写真だけで分かったな」
 最後のページまでいくと、また表紙からめくりだす。そんな動作を繰り返しながら、アンドリューは「分かりますよ」と呟く。
「今一番ライアンを見てるのは俺ですから」
 それを聞いて、やられた、と思った。
「……アンタそれ無意識?わざと?」
「どちらだと思います?」
「そう聞くってことは、わざとだな。このやろ」
 ソファに座っているアンドリューの横に音を立てて座り込むと、思い切り肩を抱き寄せる。
「ちゃんと見てるって、証明になるでしょう?」
 俺ばかり好きなんじゃないかとか、心の片隅で疑ってる自分を安心させてくれるアンドリューの言葉に、ちゃんと想われてるのだと思い知らされる。
「アンディの瞳は琥珀色だけど、角度や光によって変わるよな」
 安心させてくれたところで、今度は俺の番だ。
「色素が薄いので、他の色に染まりやすいんでしょうね」
 色素が薄いアンドリューの髪や瞳は、付加価値でしかない。俺が好きなのはアンドリュー本体そのものだ。
「俺色に染まったら何色になるんだろうな」
 ピタリとアンドリューの身体が固まり、微かに震えながら両手を顔へ持って行く。
「……恥ずかしくないですか」
「無くは無いけど、そこまでは」
「俺が恥ずかしい」
「なら成功だな」
 赤くなった顔を覆うように両手を目一杯広げているが、隠しきれなかった耳にそっと唇を近づけ音を立ててキスをする。
 耐えられないというように身じろぐアンドリューが、ちらりとこちらを見やる。
「……だからゴールドなんですよ」
 顔をずらして覗き込んだアンドリューの輝く金色の瞳の中には俺が映って、まるで綺麗な鏡のようだ。
「どういうことだよ」
 分かるようで分からない。突き詰めていいものか、このまま流していいものか。
「知ってる限り、俺と会った頃には金色だったように思うけど」
「なら、そういうことなんじゃないですか」
 これ以上話すと更に墓穴を掘ると思ったのか、アンドリューは俺にしがみついて口を開かなくなってしまった。
「ずりーな。追求もさせてくんねーの」
 そういうことだと、本当はもう理解している。
 けれど、これだけ照れられると言わせたくなる欲だって湧き上がってくるものだ。
「アンディの瞳がゴールドの理由は、俺ってことでいいんだ?」
 そう思っていいのなら、そういうことにさせてもらう。
 自己完結して終わるはずだったのに、しがみつかれた腕に力が込められて、胸が嬉しさでいっぱいになった。

 

1/11 インテ無配

 

Doze

朝の光が薄っすらとカーテンを照らす朝。
彼は気だるげな動きでゆっくりと腕をシーツに突っ伏して上半身を起こし、やがて片手を前髪へと差し込む。
しばらくしてから眉間を指で摘むようにして瞳を薄く開くと、辺りを見回す。探していた眼鏡を見つけると指を伸ばし、細いフレームを耳にかける。
それでもまだはっきりと目覚めてはいないのだろう。身体に纏っていたシーツをめくり、ぼんやりとした表情で落ちていたバスローブを拾い上げ腕を通す。
腰元で緩く縛り、ベッド下にあったスリッパを履くべく足を伸ばす。
緩く頭を振って立ち上がり、部屋を出ていこうとする背中側から手を伸ばして、片手首を掴んだ。
「まだ早いって」
室内に入る光の加減から言って、いつもの起床時間よりもだいぶ早いのは時計を見るまでもない。
おそらくまだ半分以上夢の中の彼は、ベッドに戻してしまえばすぐに二度寝するだろう。
何を焦っているのか、寝る時間すら勿体無いとでもいうように仕事をする彼を休ませるのが、最近の俺の役目でもある。
「……目が覚めたからもう起きる」
完全に開いてない、瞬きすらしない瞳で寝言のように呟くアンドリューの手首を今度は強く引き寄せて、ベッドへと座らせた。
「急ぎの仕事は終わったって寝る前に聞いた。から朝はまだ寝れる」
「……言った?」
「言った。聞いた」
身体を捻って、じっと視線を合わせてくる目元から眼鏡を静かに抜き取って、サイドボードへと置く。
「今ならまだ温かい」
自分に近いところのシーツをめくってやると、温かそうに見えたのか、スリッパを脱いでごそごそと横に潜り込み寄り添うように寝転んでおさまった。
「朝ごはんは……」
「今日は俺が作る」
「任せた」
会話のすぐ後に聞こえてきた寝息に、やっぱりまだ寝てたかと口元が勝手に緩むのが分かる。
ここまで無防備になったのも、大人しく二度寝なんてするようになったのも、だいぶ俺と居ることに慣れてきてくれたと思うのと、その変化の原因が俺ということに確かな優越感を噛み締めつつ、
少し冷えた身体を抱きしめて、俺も二度目の眠りへとおちていった。

 

photograph

彼から送られてくる数枚の手紙と、倍以上の厚さの写真達。
さすらい王子の名前通り、行き先が変わる度に違った風景や建物が写っている。
人物などは出来るだけ外して撮られているそれに、稀にライアン自身のものだろう手や髪が写りこんでいることがある。
本人のものかなんて実際のところは分からないけど、そうであったらいいという希望を勝手に抱いていることに気付く。
断っていることもあり面会は一度もしていない。増えていくだけの手紙の数にただ満足していたのに、今日は違った。
「……珍しい」
その日届いた手紙には、誰かに撮ってもらったのか、それとも自分にレンズを向けて撮ったのか、雲ひとつない空を背景にライアンの顔が映っていた。
髪が少し伸びて、バカンス中なのか髭も少し見える。顔つきは最後に見た時よりも随分大人になった。いや、以前だって未成年だったわけではないからこの言い方は失礼か。
トレードマークのサングラスは服の胸元に引っ掛けられ、緑の瞳が隠されることなくこちらを見ている。
写真でしかない彼と視線が合った瞬間、指から全身に震えが走った。
定期的に送られてくる手紙によって自分は外の世界の今を知ることが出来る上、こうして彼の姿も見ることが出来た。しかしライアンは俺の姿どころか現状すら知らないのに、懲りずにずっと繋がりをもとうとしてくれている。
それがどういうことなのか、自惚れてもいいのなら、もう俺にだって分かる。
「会いたいな……」
今更遅いのかもしれない。けれどまだ間に合うかもしれない。
返事を書こう。そして、今の君に会いたいことを伝えよう。

 

風邪ひきさんへのお題 5.お大事に

翌朝、よく寝たと爽快な顔で背伸びをしながら起きてリビングへ入ってきたライアンへ、くしゃみで返事をした。
「……うつした?」
片眉を下げて、口は半笑い。申し訳ないと思っているのか、あれぐらいでうつった俺を笑いたいのか、半々か。
「必要以上に近寄り過ぎただけだ」
弱っているからと無意識に甘えられることが嬉しくて離れがたかったのは自分の方だ。ライアンを責める気など無い。
「看病しようか」
「結構。うつしあいしてたらいつまでも治らない」
マスクをかけながら、作っておいた朝食をキッチンカウンターへ運ぶ。
病み上がりも考慮して、消化にいい物を調べて作っておいた。代わって体調を崩した自分も食べれるし一石二鳥だ。
「というわけで、俺は部屋に篭る。困れば呼ぶけど、基本的に放置でいい」
看病するという申し出もありがたいが、治ったというよりも回復に向かっているだけのライアンにだって負担はかけたくないし、今日はまだゆっくりしてて欲しい。
出動はいつあるか分からないし、休める時に休んでいて欲しいのが本心だ。
「リンゴ剥くくらいは?」
「ウサギにはしなくていい」
「残念。出来ないから期待すんな」
たまに様子見るくらいは許せと暗に言われたのだと気付き、好意を受け取る。同じ家にいる以上、全く接触しないのはほぼ不可能だ。
「お大事に」
自分の部屋へ向かおうとした俺の背中に投げられた言葉に、マスクの下で微笑んだ。

 

 

風邪ひきさんへのお題 4.握られた手

シャワーに入りサッパリしたと言いながら新しい寝間着に着替えてベッドに横になり五分。
俺の片手を握ったかと思えば、そのまま寝入ってしまったライアンは、軽く揺すっても起きないほどだ。
入浴といえど体力を使って限界なのだろう。
しかし。
(そんな愛しそうに両手で握らなくても……何かと勘違いしてないか)
寝入っているのに手を離してくれない。いや、これは俺が離したくないのかもしれない。
いつも風呂上りの俺に髪を乾かせと過保護のように言うのに、今日のライアンは見た限りタオルドライすらしたかも怪しい。このままではまた風邪をぶり返してしまうが、わざわざ今から起こしてドライヤーをかけるのも気がひける。
片手が握られた状態では何も出来ないと自分に言い聞かせ、そっとライアンの手から自分の手を抜いた。穏やかな寝息を立てるライアンはすっかり眠りに落ちているようだ。
一日中前髪が下りている姿はなかなかに珍しい。いつもはきちんとセットされていて固そうに見えて意外と柔らかい金髪からゆっくり水分を奪うように、自由になった両手でライアンの髪にタオルをあてる。
「……なるほど」
甘やかす、というのも存外悪くない。普段ライアンがもっと甘えろと言う意味が少し分かったような気がした。

 

風邪ひきさんへのお題 3.うさぎさんりんご

「うぉ、すげぇ」
皿に乗っている不恰好ながらも兎の形に切ったリンゴを見てライアンが声をあげた。
「全部やってたら色が変わってしまいそうだったから、1つだけど」
だいぶ顔色の良くなってきたライアンを喜ばすには1つで十分。というのは建前で意外と切るのが難しくて、途中で諦めたのもある。
「アンディが切ってくれたと思うと、特別かわいくて食えない」
「ばか言ってないで早く食べろ」
食べないなら摩り下ろしてやる。そう言うと慌てて兎の形のを口に放り込んだ。
「体調悪いとリンゴもいつもより美味く感じるのな」
しゃくしゃくと美味しそうな音を立てながら、あっという間に一個の半分を食べてしまったライアンから皿を受け取る。
「風呂はどうする。着替えるだけなら手伝うけど」
いくら着替えたといっても、あれだけ汗をかいたあとならやはり気持ち悪いのもあるだろうと提案すると、シャワーだけ入りたいということだったので、バスルームを暖める準備をしようと、ライアンの横に座っていたベッドから立ち上がる。
「甘やかされてんなー俺」
「こんな時くらいしか素直に甘えないでしょう」
「それアンタが言う?」
くすくすと笑うライアンの汗で湿った髪に手をさしいれて、額に触れるだけのキスをする。
「うん、下がってる」
熱が上がってないことを確認したのにライアンの顔は少し赤くなっていて、もしや今ので熱が上がってしまったのなら余計なことをしたと少し後悔した。

 

風邪ひきさんへのお題 2.水分補給

アイスを食べたライアンが寝入ってから数時間。
薬が効いているか様子を見に行こうと寝室のドアを開けると、ぱちりと開いた目が部屋へ入ったばかりの俺の視線とかち合った。
「具合どうですか」
枕元のライトでうっすら見える瞳が少し潤んでいるのが見てとれて、弱っているなと感じる。
「頭痛はマシ……」
「熱は?」
「下がった」
信用出来ない訳ではないが確認のために片手をライアンの額に乗せる。思ったよりも熱は下がっているようだ。
「汗すごいな。着替えようか」
タオルを取って戻ってくるついでに、スポーツドリンクのボトルを冷蔵庫から取り出して渡す。力が入らないのか少し時間をかけてボトルのふたを緩めるのを見て、開けてやれば良かったと思った。
音がするほどの喉の動きでボトルを空にする様を観察しつつ、部屋のクローゼットから着替えを取り出す。
身体に張り付いてるTシャツを脱ぐのを手伝い、露になる肌へタオルを押し当てる。重くなるタオルの面を変えながら、体が冷えていくのを掌で直接確かめた。
「油断は禁物だけど、とりあえず良かった」
弱ってる姿を見慣れないものだから、つい余計な心配までしてしまう。つい零すと笑って髪を撫でられた。
「心配どーも」
キスしたらうつるか、と口を尖らせた彼はだいぶ普段の表情だったので安心した。