Regulus

獅子秘書置き場

再会 3

薄っすらと空が白み始めた頃に、ふと目が覚めた。
何もしないのに一緒のベッドで眠るライアンの自分より高い体温は素直に気持ちがいい。向かい合って寝顔を見ていると、最後にシュテルンビルトで見た時より年を重ねたことを感じるが、やはり自分よりは若いのだと伸ばした指先が触れた頬の肌質から分かる。
降りた前髪も、意外と長い睫も、常に上がっている口角がまっすぐになっているのも、きっとこんな時くらいしかじっくり見ることは出来ない。
どうして俺を迎えに来たのだろう。また会いたいと思うほど、彼の中で俺は印象の良い人間だっただろうか。
たった一度、あの街で寝ただけなのに。

 

ひんやりとした空気を感じながらベッドから抜け出す。少し早いが目が冴えてしまったので、顔を洗って何か温かいものでも飲もうと先にバスルーム横の洗面台へ向かうと、室内よりも更に冷えている空気にタイルの見た目が重なって鳥肌が立った。熱いシャワーでも浴びようかとルームウェアの上を脱いだ瞬間、洗面台の鏡に映る自分の身体に少し肉が付いていることに驚いた。

ライアンと出会ってランチを一緒に取るようになって、更にホテルに来てからは三食食べるようになったから、知らない間に体重が増えたのだろう。

そして。
(……もうほとんど見えない)
ライアンが妬いて気にしていた、俺の首元から胸元にかけて残されていた痕は消えかけていた。小さな針ほどの赤い点が所々にあるだけだ。
思わず、喉が鳴った。
目が覚めたら。朝食を食べたら。それとも夜まで待ってから。
そこまで考えて期待している自分に気付き、思わず口元を手で覆い目を瞑った。
(期待なんてしない)
振り払うようにボトムも全て脱ぎ捨てて、シャワールームで熱い湯を浴びた。
まだ聞いてない彼の気持ちを都合よく想像する思考すら流すように。


血色の良くなった肌にバスローブを纏い、ベッドがある隣の部屋でコーヒーを入れる。朝一にブラックを飲むと胃が痛くなるから、ミルクと砂糖を足してかき混ぜ、ソファに座ってカップに口をつけた。
無理に落ち着こうとしている自分に笑いがこみ上げてしまう。
(初めて買われる女でもあるまいし)
温かくて甘い飲み物に胃が満たされ、軽く息を吐き出し天井を仰ぐ。スイートまでいかずとも、それなりにいいホテルの部屋だ。ライアンはともかく、途中から出入りするようになった、この部屋に似つかわしくないような俺をフロントや清掃係の人間はどう思っているんだろうか。
「……分からないな」
「何が」
天井を見ていた視界に突然ライアンの顔が入ってきて、肩を揺らしてカップを落としそうになった。
「おっ……おはよう」
「おはよ。早いな」
すること無いんだから寝れるだけ寝たらいいのに、とはライアンの言葉。
「目が覚めて…冷えたからシャワーに」
「あー、だからか、良い匂いすんの」
後ろから抱きしめられ、ひょいとカップを取られ中身を飲まれてしまう。
「自分で淹れなくても、頼めばいいのに」
ルームサービスのメニューを渡されて、朝食のページが開かれる。選べということだろうか。カップを持ったライアンが隣に座ってメニューを覗き込んでくる。寝起きのふわふわした金髪が顔にあたって胸が鳴った。
「もう、消えた」
舌が縺れない様に紡いだ言葉は思ったより小さな声になってしまった。ライアンの視線がメニューからこちらに移り、視線が重なる。ライアンは驚いてもいないいつもの顔でじっとこちらを見てくる。
バスローブの胸元を少し引っ張り、痕があった場所を曝け出す。そこに視線を移したライアンの喉が動くのが分かった。
「いいのかよ」
落ち着いてるように見えるが、瞳の奥が小さく揺れている。
「消えたら抱くと君は言った。…もう待てない」
瞳を逸らさずにそう言い放った瞬間、身体が一瞬宙に浮いた。
「え、ちょ、何」
「ベッド行く。落ちるなよ」
数歩の距離なのに横抱きの体勢にひどく恥ずかしくなる。柔らかいベッドに降ろされ、さっきまでライアンがいたせいか温かいシーツを緩く握ると、身体の上に大きな身体がゆっくり乗り上げてくるのが直視出来なくて横を向いた。
「やっと抱ける」
「…初めてじゃないだろ」
ライアンの鼻が俺の頬ギリギリに近づいたところで、少し顔を彼の方へ向けると鼻にキスされる。その感触があまりにも優しくて、思わず強請りそうになった。
「前に抱いたのはヴィルギル。アンドリューは初めてだ。待った甲斐があった」
開いた胸元を念入りに眺めるその表情は、言葉通り待ちわびていたようだった。
すっと動いた片手が足元からするすると腰へ上がってくる感触に、小さく身じろぐと目の前の唇がふと笑う。
バスローブの前を肌蹴られて胸の尖りを軽く摘まれると、喉の奥で微かに声が鳴る。
「感じやすい?」
「普段触られることなんか、ほとんど無いから」
相手を気持ちよくさせることを優先して、自分のことはその次どころかだいぶ後、下手したら最後まで放置の時だってあった。
「あぁ。…まぁもう俺以外に触らせねぇけど」
そう言った唇で胸を這い上がり、鎖骨から首筋に痕をつけない程度に吸い付いては離れていく。
優しすぎる触れ方に物足りなさを感じ、太い首へ両腕を回して引き寄せた耳へと唇を近づける。
「買われた俺は、君の何になればいい」
実際に金を渡された訳ではないが、ここ数日の食事や衣服代を彼が払ったことを考えると、俺は買われたということになるのだろう。
「何に、って。あのさ、買うって言ったのは」
「本気じゃなかったってことか」
「本気に決まってんだろ」
強めの口調に変わったライアンの声を聞いて腕の力を緩めると、真剣な瞳が間近に迫る。
「買わないと、アンタは俺の傍にいてくれねーの?」
呼吸すら届きそうな距離で甘えられるように言われたら、次に言おうと考えていた台詞が全て飛んでいった。
「てっきりアンタも俺のこと好きだと思ってたんだけど」
拗ねるような口調で、俺を抱きしめたかと思えば素早く転がり、ライアンの上に乗る体勢になる。腰に回る腕にはがっちり力が込められていて、上半身を浮かせるのすら容易くない。さっきまでの艶かしい雰囲気は俺の台詞同様どこかへ行ってしまった。
「も、ということは……君は俺が好きなのか」
「は?何を今更」
「だって、俺は聞いてない」
好き、というハッキリした言葉をもらっていない、だから信用出来ないだなんて、言い訳がましいにも程がある。そんな言えない理由をおそらく勘付いてるはずなのに、ライアンはそれを指摘してこなかった。
「好きだよ。じゃなかったら、探したりしない」
困ったように笑われて、次に痛いほどに抱きしめられて、嘘じゃないのだと身をもって知らされる。あれこれ考えていたマイナスの思考を全て荒い呼吸に乗せるようにして体外へと吐き出した。全て委ねてもいいのだと、やっと決心がついた。
「……君の傍に居させてくれるかな」
「もちろん」
何の迷いもなく即答するライアンに安心したのか、体中の力が抜けていった。クッションにしてはだいぶ固い筋肉がついた彼に身体を預けると、項が撫でられる。
「短い髪とか、眼鏡してないのとか、俺のこと君って呼ぶとことか、新鮮でなんか距離が近くなった気がして嬉しい」
今更なことに気付いた俺の変化に対する彼の感想は、どうやら良い傾向のものだった。首筋から耳の裏を伝って、殊更ゆっくりと皮膚を滑る指がくすぐったいようで優しく、温もりを感じる。
絡められた足が意図をもって動き始めたのを感じて、ついと顎を上向けた。
「今度こそ抱いていい?」
じっと見つめ、見つめ返されるその瞳は欲に濡れていて、けれど中途半端に脱いだままの互いの姿に可笑しくて笑った俺につられて、ライアンもくしゃりと笑った。
俺を見つけてくれた礼は、これから少しずつ君を笑顔に出来ることで返していけたらいい。